幻の最高裁判決!「曲率半径誤記事件」
幻の最高裁判決!「曲率半径誤記事件」⑥
さて、これに対して、最高裁はどのような対応をしたでしょうか?
「本件を上告審として受理しない。」という僅か数行の文書を送って来ただけでした。
このような文書を受け取ったときの虚しさ、脱力感というのは、このような仕事をしている者に特有のものでしょう。
私が期待していた最高裁判決は、訂正無効の審決の確定は権利範囲の認定に何ら影響を及ぼすものではないのだから、その前提で審理をやり直すことを命じるものでした。「幻の最高裁判決」という所以です。
本件で痛切に感じられたことは、この国の最高裁は、どうしてこれ程誠意のないことができるのだろうか?こんなやる気のない最高裁ならいらないではないか?ということでした。
ついでに言うなら、最高裁に訴えを起こすには、通常の訴訟の2倍の印紙を必要としますが、それも、最高裁の判断を求めていればこそです。本件のように、要するに、何も判断をせず、受理しないというのなら、一体何のための印紙だったのでしょうか?
あなたなら、本件に、どういう判決を下しますか?
終わりに・・・
「別冊ジュリスト 特許判例百選[第三版]」で、この事件が「均等論」の箇所で取り上げられ真面目に議論されているのは、「珍」現象としか思えません。
この解説者は、『「曲率の小さな」は、常識的には原告の主張通り誤記であろうと推認される~』と、つい、本音を洩らしています。(「誤記と推認される」どころではなく、「誤記そのもの」です!)
この事件の核心は、この国の法律家(特に裁判官)は、何故、「常識」に基づいた判断ができず、枝葉末節の法律論ばかりするのか?ということなのです。 「法律」は「常識」に基づくものでなければならないことを考えれば、このことの異様さが分かります。
しかし、この国の法律の実務家達にこのような問題を提起してもどうにもならず、「木に縁りて魚を求む」でしかないのでしょう。