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10.「曖昧な日本の私」

10.「曖昧な日本の私」

 この「曖昧な日本の私」というのは、大江健三郎のノーベル賞受賞記念講演のタイトルです。

 

 当所では、外国特許出願するときは、まずは、日本語の明細書を忠実に英訳してアメリカの代理人に手直しして貰うことにしています。

 

 最近、他の日本の弁理士が書いた明細書を忠実に翻訳して送った案件の中に、「ほぼ同じ大きさの無数の空隙」という表現があり、英訳するときは、特に気にもならなかったのですが、アメリカ代理人から、これでは出願できないと言われました。

 

 確かにその通りで、2つのものの比較でさえ、それらが「ほぼ同じ大きさ」であることをどうして証明するのでしょうか?まして、「無数の・・・」ともなれば、それらがほぼ同じ大きさとはどういうことか、わけが分からなくなります。

 

 アメリカ代理人に、これは、例えば、「全空隙の中から90%の空隙を取り出したとき、それらすべての空隙の大きさが平均値から10%以内に納まる。」というような数値に基づく表現でなければ通用しないと指摘され、成程と思いました。

 

 しかも、この場合、「空隙」というのは3次元なので、その大きさをどう計って比べるのかという問題もあります。

 

 山本七平氏が、或るところで、「曖昧な日本語では戦争はできない。」と言っていたのを思い出しました。

 

 アングロサクソンとは、科学・技術の世界でこのような考え方をする民族なのであり、曖昧な日本人では、太刀打ちできそうもありません。故に、戦争すれば負けるのが当然であり、戦後半世紀以上たっていても、日本人は大して変わっていないということか?と感じざるを得ませんでした。

 

 なお、面白いことに、同一の文章は、中国、韓国、台湾へも送ったのに、これらの国の代理人からは、何も疑問は出てきませんでした。そうすると、アジア人には、共通の曖昧さがあるのか?という気もします。

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