8.物の発明は物の発明らしく!
8.物の発明は物の発明らしく!
「幻の最高裁判決(曲率半径誤記事件)」における「脇下汗吸収パッド」の考案のクレームは、「吸水・吸臭層と止水層とを備える袖添付け部と身頃添付け部とを吸水・吸臭層を内面側に対向させて重合し、両添付け部を彎曲連結部で相互に連結し、袖添付け部と身頃添付け部の内面側に両面接着テープを取付け、袖添付け部と身頃添付け部を前記彎曲連結部より曲率の小さな3つの彎曲を連ねた縁形状としたことを特徴とする脇下汗吸収パッド。」です。
各文節が動詞で終わっていることに注意して下さい。しかし、これを英語に訳そうとすると、はたと困ります。何故なら、英語では、A、B、Cという要素からなる装置の発明(物の発明)は、「~したAと、~したBと、~したCからなる~装置。」と書かねばならず、ここで、当然のこととして、A、B、Cは名詞でなければならないからです。(英語では、文節が動詞で終るのは方法のクレームの場合です。)従って、前記のようなクレームはそのまま英訳することはできず、英語にするための「前加工」が必要になるのです。
では、日本人は、何故、名詞を使った表現ではなく、動詞を使った表現をしたがるのか?という疑問が生まれます。
この答えは容易には見つからないのですが、養老先生の「カミとヒトの解剖学」という本に、「ルターは『酒、女、歌、これを好まぬ者は一生馬鹿で終る』といった。わが国ではこれを、『飲む、打つ、買う』と動詞にする。」とあり、これが、少し手掛かりになるような気がしています。
或る弁理士は、日本人が、名詞ではなく動詞の表現を好むのは、例の、明晰さを嫌い、曖昧さを好む、という性質と関係があるのではないかと示唆しています。
「日本語練習帳」の中でも、この問題が取り上げられており、「・・・日本人は強い行動をきらう。なるべく薄衣を着せて、霞がかかるように動く方が上品で優雅だと思い馴れています。しかし、自然科学から得た知識がこれほど世界を動かしている時代に、知的判断の交換に使う文章ならば、霞の衣で包むことを美徳としていいかどうか。」とあります。特許明細書は「知的判断の交換に使う文章」の最たるものです。特許明細書の世界では「日本人の美徳」は通じません。「日本語練習帳」の中でも鮮明の極致として紹介されている「花は桜木。人は武士。」のような文章を目指すべきです。(私が弁理士になった昭和40年代は、物の発明でも、「~して、~して、~した~装置。」と動詞形で書くのが当たり前で、「~したAと、~したBと、~したCからなる~装置。」と書くのには、抵抗があったことを思い出します。)
日本は世界最大級の特許出願国であり、その公報は英語に訳されて世界に発信されます。物の発明は物の発明らしく書こう!と提唱する所以です。