お電話でのお問い合わせ

03-6268-8121

「ボールスプライン軸受事件」の真実

「ボールスプライン軸受事件」の真実

~「ボールスプライン軸受事件」の真実①~

平成10年2月24日の「ボールスプライン事件」の「均等論」に関する最高裁判決が出てからもう何年でしょうか。(2月24日は「均等論記念日」?)

この事件を受任した当時は、これ程の大事件に発展するとの予感はなかったのですが、平成6年の高裁の逆転判決で一気に世間の注目を浴びることになったのでした。
侵害訴訟のみならず、特許無効審判、被告の特許出願に対する異議申立事件、拒絶査定不服審判事件と事件は多彩に展開しました。
この裁判に、被告代理人として15年も関わった者として、雑感を記す次第です。

よく知られているように、この最高裁判決は、均等論を是認することを初めて明らかにした最高裁判決ですから、この事件では、「均等論」を主張した特許権利者側が勝訴したのであろうと考える人が多くても不思議はありません。後記ジャーナリズムの不正確な報道の遠因もここにあるのでしょう。

 ところが、真相は逆で、この事件は、実質的には被告の勝訴で終わっているのです。
原告は、折角、最高裁がお墨付きを与えてくれた「均等論」で裁判に勝つことができなかったのです。 

 


 

 この最高裁判決は「破棄・差戻し」を命じたものでしたから、最高裁判決から約半年後に、やり直しの高裁での審理が始まりました。
ところが、控訴人(THK)は、第1回期日の後、控訴の取下を申立てたのです。被控訴人(株式会社ツバキ・ナカシマ)はこれに同意し、控訴の取下は有効となりましたから、結局、控訴はなかったことになったわけです。

破棄・差戻しされた高裁判決は、特許侵害を否定した第1審判決を取消したものでしたから、控訴が取下げられたということは、特許侵害を否定した第1審の判決が復活して確定したことを意味します。被告の実質的勝訴という所以です。

特許権利者側が控訴の取下をした理由は定かではありませんが、問題の最高裁判決を読めば読む程、「否侵害」を示唆していると理解せざるを得ず、結局、勝訴の見込みなし、と判断したものとおもわれます。
 


 
 平成12年8月3日の日本経済新聞には、「特許を巡り最高裁変身」と題して、特許事件に関する最高裁の「変身」振りについて報道する記事があり、当然のことながら、この記事の中でも、この最高裁判決に触れられておりました。
ところが、そこには、「ツバキの製品技術はTHKが出願書類に記した内容とは異なる部分があったが、本質的にTHKの特許と同じとみなした。」とあったのです。
何とも恐れ入った簡略記載で、これを素直に読めば、THKが特許侵害でツバキに勝訴した、と理解するのが普通でしょう。「誤導的」報道といわざるを得ません。

 また、「みなした」という表現にも問題があり、この種の判例に関する報道をするのなら、せめて、「みなす」とは、どのようなことを意味しているのかくらい理解しておいて貰いたいものです。(ついでながら、荒井寿光著「特許戦略時代」第152頁の「今までは特許出願書類に記されていないため、その後の技術向上を生かして改良を加えれば特許を回避できた。それが今後は侵害とみなされる。」というのも、「みなされる」の誤用でしょう。「今後は特許出願後に可能となった技術を使用しているということは、置換容易(自明)性を否定する理由とはならない。」というのが正確な表現です。)

さて、この「均等論」、どのように実務に生かせばよいのでしょうか?
 

~「ボールスプライン軸受事件」の真実②~

 この最高裁の均等論判決は、「均等」を認めるための5つの要件を明らかにしたという点以外では、いわゆる「自由技術の抗弁」を是認したという点で裁判実務に活かすことができるものです。

 何故なら、ここでいわれている「・・・特許発明の特許出願時において公知であった技術及び当業者がこれから右出願時に容易に推考することができた技術については、そもそも何人も特許を受けることができなかったはずのものである・・・」というのは、まさに、「自由技術の抗弁」の理由付けであるからです。

「特許侵害」をいわれたほうとしては、相手の特許発明のことより、自己の実施している技術内容のほうを熟知しているはずですから、この最高裁判決の論理に従って、自己の実施している技術が特許発明の特許出願時において公知であったか、又は、当業者がこれから右出願時に容易に推考することができたことを立証する証拠を探すことによって、特許侵害にならないことを立証したほうが、相手の特許の無効理由を探すよりやさしいのではないかと思われるのです。
 


 
 もっとも、この点を立証しようとすると、自己の実施技術を開示せざるを得なくなりますから、 これを開示したくない場合には、やはり、相手の特許の無効理由を探すことになるでしょう。

 特許に無効理由がある場合に権利行使を認めないとする特許法第104条の3がありますから、どちらのアプローチで行くことも可能です。
かつて、侵害審理の下級審は、「自由技術の抗弁」を認めることは実質的に特許無効の主張を認めるに等しいとして、「問答無用」の如く「自由技術の抗弁」を排斥していたことをおもえば、隔世の感ありです。

 一方で、「均等論」判決には疑問、そして不満が残ります。
 

~「ボールスプライン軸受事件」の真実③~

 前記のとおり、この均等論判決の核心は、(高裁まで全く議論されていない)「自由技術の抗弁」にあり、最高裁は、被告製品は従来技術から推考容易であることを示唆して、この点が審理不十分であったとして破棄・差戻したのですが、被告代理人としては、いまだにこの点がしっくり来ておりません。

 被告としては、問題の特許発明よりすぐれた製品であると信じ、特許出願もし、特許を得ている被告製品について、それが従来技術の延長上の推考容易なものである等というのは、到底、出てくる余地のない発想です。
 被告製品について、文字通り、従来技術の延長上のもので、それ故に、被告自身、特許出願に値するとは考えていなかったという事例もあるでしょうが(なお、均等論の適用を免れるため、特許出願して拒絶査定を受けておこうという説も発表されました。)、本件は、そのような事案ではありません。
 上告理由書に詳細に記載しているように、被告製品は特許発明とは多くの点で異なり、よりすぐれた効果を発揮し、特許を受けているものであるのです。

被告製品が特許を受けている事案において「自由技術の抗弁」を提出せよと促されるならば、被告としては対応に苦慮することは間違いありません。

差戻しの審理では、このような問題点が浮き彫りにされるはずでしたが、未解決のまま残されてしまいました。
 なお、この判決が、高裁判決の「自由技術の抗弁」における審理不十分だけを問題にし、高裁判決の積極的認定の内容については、全く不問としたことには、大いに不満が残ります。
 


 
 高裁判決の認定内容に対する第三者の批判としては、

「知財管理」Vol.47 No.1 1997において、服部栄久氏が、「本件発明について技術的判断をすること自体に能力上の問題があるのではないだろうか。」、

「・・・法治国家を自認する国の司法判断とは到底考える事ができない。」、

「具体的な技術の検討をせず、或いは理解しないまま結論を急いだものと思われ、失当と言わざるを得ない。」、

「論理性を欠如した誤った判断を元に推論しているから、いちいち論ずる迄もなく、すべて失当である事に疑いはない。」、

「まさに信じ難い判断と言わざるを得ない。」、

「公正を期すべき裁判において、こんな理由づけがされ得るのかと何か背筋が寒くなる様な思いがした。」と批評されているのが、最も辛辣なものでしょう。

このような批判に対して、最高裁の回答が全くなされなかったことは、実に遺憾なことでした。

 


 

 なお、最高裁には、地裁・高裁におけるような、技術系調査官は配置されておりません。してみれば、最高裁裁判官は、技術的疑問があっても、質疑応答するすべはなかったはずです。そういう人々がどうして、被告製品が従来技術から容易に推考できたなんていえるのでしょうか?

 被告製品が従来技術から容易に推考できたのなら、それが権利範囲に含まれると主張されている本件特許発明も推考容易で無効ではないのかという疑問が当然浮かびます。
しかし、本件特許発明の無効審判は特許庁・高裁によって却けられ、被告製品の特許も異議・審判を経て確定していることを考えれば、本件における最高裁の「推考容易性」の認定には、納得することができません。
 この事件に接したときの直感は、こんなに違うものが特許侵害のはずがないということでした。東京地裁の判決は、全面的に特許侵害を否定したものでしたから、そのような心証が基礎にあることは間違いありません。
ところが、高裁、最高裁と進むにつれて、そのような本質・実質から遊離した議論になってしまった感があります。

 「均等論」先進国たるアメリカでの「均等論」への批判の高まりを考えると、本件での、地裁判決のきわめて常識的な見方が、再度見直される日が来ないとも限りません。

 長い裁判を経て得たもの。それは・・・
 

~「ボールスプライン軸受事件」の真実④~

 この裁判は、提訴から15年で最高裁判決に至っております(地裁8年、高裁3年、最高裁4年)。途中で特許の存続期間が切れてしまったことは勿論です。

 従って、特許侵害を是認した高裁判決は、「差し止め」はできず、「損害賠償」を命じることしかできなかったわけですが、仮に最高裁が特許侵害を是認するものであったなら、被告は、過去15年分の遅延損害金を支払わなければならなかったことになります。
民法上の遅延損害金は年利5%という「高利」ですから、15年分ということは75%ということです。

 このように裁判が長引くことは、「遅延損害金恐るべし」を実感させるものです。

 特許訴訟は、原告と被告が全知全能を傾けて争う、最高に知的な「闘争」です。冷静に議論を重ねるべきであり、感情的になることは何の利益もないと知るべきです。

 ところが、ボールスプライン事件において、権利者側は、被告製品を「模造品」と称しました。「被告製品」が特許侵害か否かが論争されている場において、(憎い気持はわかりますが)「模造品」という感情丸出しの表現をすることは品位を下げるだけであり、「被告製品」、「イ号製品」のような無色透明の表現に止めるべきでしょう。

 「特許訴訟」は紳士の争いでありたいものです。

 


 

 今や、特許訴訟ではお馴染みとなった、この「均等論」のアメリカでの最初の最高裁判決があったのは何時のことでしょうか?

 これが何と1853年なのだそうです。

 日米では145年もの差です!この1853年に我が国はどうしていたかといえば、あの「ペリー浦賀来航」(「来寇」という説もある。)で大騒動の年なのです。
 我が国は、この幕末の騒乱の時、アメリカでは、既に、最高裁において「均等論」が議論されていたのです。(なお、「アミスタッド」という映画は、1839年に起きた黒人奴隷船での反乱事件を描いたものですが、この当時のアメリカ最高裁での審理の状況を知ることができます。)

 アメリカは、独立以来、200年と少ししかたっていないのに、何ともすごい国だと認めざるを得ません。

 高裁での逆転敗訴の報告を受けたのは、平成6年2月3日、義父の葬儀の最中でした。地裁と異なり、高裁では損害の議論もされましたので、逆転の可能性がゼロではないことはわかっていましたが、実際に逆転の判決を受けてみると、「まさか!」というのが実感でした。
 


 
 この世では、「まさか」とおもうようなことが現実に起きるということを身を以て学びました。
 精神的にも相当落ち込んだことは確かですが、そのとき、被告会社の社長から、「勝負は時の運です。負けることもあります。最後に勝てばよいのです。」といっていただいたことは、大いに救いになりました。
 それから、会社の技術スタッフの全面的協力を得て、納得の行く上告理由書を書き上げることができたのでした。

 この事件の展開を見ると、「勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す。」という格言をもって締め括るのがぴったりのようです。

TOPに戻る