司馬遼太郎氏の著作(坂の上の雲、関ケ原、歳月・・・)
司馬遼太郎氏の著作(坂の上の雲、関ケ原、歳月・・・)
司馬遼太郎氏の作品を読もうと思いたったのは、故会田雄次氏の「決断の条件」という本の中で、「決断力」を養うには司馬遼太郎の「坂の上の雲」のような歴史小説を読むのがよい、と勧めてあったのが動機でした。
そこで、司馬作品は、この「坂の上の雲」から取組むことになりましたが、そこから、仕事上、肝に銘じるべき教訓を得ました。それは、203高地攻略の為の、大砲の移動、据え付けに関してのエピソードでした。
「専門家のいうことをきいていては、とんでもないことになりがちだ。」、「専門家に聞けば、いつでも、そんなことは不可能という答えが帰ってくる。」、「専門家とは、昨日までに起きたことの専門家かも知れないが、明日から起きることについては、誰も専門家ではない。」という、児玉源太郎の考え方です。
法律家は専門職の最たるものですが、それだけに、「法律家」ではない人の考え方に謙虚に耳を傾けるという姿勢が大切であることを痛感しました。
最近、これに似た話しとして、次のようなことも知りました。『ヘンリー・フォードが事業の相談を専門家にしたところ、「それは無理です。そんなことはできません。」と、できない理由を詳しく教えられた。しかし、会社は、できない理由を聞くために専門家を雇っているのではない。そこで、彼は、それなら、「何とかやってやろう。」という人間を雇うことにした。』というのです。この話しは、事業経営者と、その顧問としての専門家の関係について、重要なところを衝いているようです。
明治の指導者は、児玉源太郎のように、「専門家」を見事に使いこなすことができたわけですが、大正から昭和へと時代が移るに従い、「専門家」が国家の中枢を乗っ取ってしまい、「専門家」を使いこなす「指導者」はいなくなってしまったというのが、あの戦争の敗因であったようです。
「日本史」の重要な部分(特に、戦国時代、幕末から明治の時代)は、学校の授業からではなく、司馬作品から学ばせて貰いました。特に、「関ケ原」は、人間ドラマとしても最高の面白さでした。
「歳月」は、同郷の佐賀県人である明治維新の英傑、「江藤新平」を描いた作品ということで、格別興味を惹かれて読みました。ここに描かれている「佐賀県人の行動様式」は、思い当たるものばかりで、「梟首」という無惨な最期とともに、身につまされるものを感じました。