「日本人と日本病について」(山本七平、岸田秀、小室直樹)
「日本人と日本病について」(山本七平、岸田秀、小室直樹)
「日本人と日本病について」(山本七平、岸田秀、小室直樹)
立川談志師匠が、自分の読む本は、山本七平、岸田秀、小室直樹の3人の書いたものだけだと或るところで言っていました。
(この3人に、司馬遼太郎、渡部昇一、谷沢永一、日下公人、長谷川慶太郎等も加えてくれればなお納得です。)
この「日本人と日本病について」(文春文庫)は、山本七平と岸田秀の対談で、小室直樹解説というものですから、談志師匠にとっては願ったり叶ったりで、彼にとっても、愛読書の筆頭ではないでしょうか。
「日本人」を論じた本で、これ程面白いものを、ほかに知りません。お陰で、この本は、赤線だらけになっています。
一番納得しているところは、129頁の「事ハ成シテハナラズ成ルモノトスル・・・」というくだりです。
日本人にとって何より大切なことは、あらゆる物事が、自然現象のように滑らかに進行して行くということです。人の意志が介在してはならないようです。
人がその意志に基づいてなすことでも、あたかも、自然にそうなったという形を取ります。その証拠に、日本人からの案内状、挨拶状には、「~することになりました。」と書いてあり、「~することにしました。」とは、まず、書いてありません。
日本人が会議をするのは、議論を戦わせて合理的結論に達するためではなく、「~することになりました。」という、(山本七平氏のいう)「空気」を醸成するためです。
事務所の昼食会でこういう話をしていましたら、或る女性職員が、そういえば、「お茶がはいりました。」って言いますね、と発言しました。成程、女性らしい観点だなと感心しました。
人間が意志に基づいてしていることでもあたかも自然現象のように表現することに関して、いくら何でも、ここまでは、とおもうのが、アメリカ軍による「原爆の投下」をも自然現象のように言う人がいることです。
「日本の一番長い日」という映画は、昭和20年8月15日の終戦に至る経緯を描いたものですが、その冒頭のナレーションで、「長崎に2発目の原子爆弾が落ちた。」と語られるのです。
これを聞いたときには、「ちょっと待ってくれ、雷が落ちたのとは違うだろう!」と抗議したくなりました。
最近も同じようなことがあり、VOICE7月号(114頁)に、阿川尚之氏が「高い空から落ちてきた原爆が、自然災害に近かった~」と書いているのを見て、目を疑いました。そればかりか、同氏は、「現在のアメリカは日本が対等に付き合える国である」、とか、「同盟国でもある」とか書いています。(目には見えずとも、3発目の「原爆恐怖症」は、日本人のアメリカに対する態度を根底から規定しているはずで、しかも、基地を提供してアメリカに防衛してもらっている日本が、アメリカと対等に付き合える同盟国であるはずがないではありませんか。)
また、同氏は、あの強いアメリカと対等に戦った自信があるという、元帝国海軍軍人(90才を超えているそうです。)についても書いていますが、「アメリカと対等に戦った」なんて悪い冗談は止めてくれ!と思います。この元海軍軍人は、惨めに一方的に負け続けておりながら、「赫々たる戦果」を挙げたと国民を騙し続けた「大本営(海軍)発表」を今でも信じているのでしょうか?主要都市が焼け野原にされ、2発の原爆まで投下され、300万人(アメリカ側の戦死者は約5万人)以上の同胞が殺され、無条件降伏という惨めな敗戦を迎える羽目になり、武器は全部取り上げられ、破壊され、唯一残っていた戦艦で、かつて連合艦隊旗艦であった戦艦長門は原爆実験の材料にされてしまうという屈辱まで招いたのは殆ど海軍の責任でしょうに、「対等に戦った」なんて、一体、何処から出てくるのでしょうか?戦後永らく、「海軍善玉」、「陸軍悪玉」という虚構が罷り通っていたようですが、もう騙されません。
ただ、アメリカ批判をするのなら、日本国内でやっていないで、英語で、アメリカのメディアでしてほしいという同氏の意見には賛成です。(ここで、日本からの「発信能力」という、巨大な壁が立ちはだかるのがつらいところですが。)
(2003・2・7付記):「~することになりました。」という(典型的)日本的表現について、1月20日、貴乃花の引退記者会見で、彼が「引退することになりました。」といったのには、不思議なことに違和感を感じました。日本人ならこういうのが当たり前なのに、この場合は、不自然な感じがしたのです。しかし、この言葉には、自分の意志と異なり、周囲の圧力で引退せざるを得ない状況に追い込まれたのだという無念の思いが込められているように思われ、自分の意志と異なり、こうなったのだという意味を込めてこういう言い方をしたのなら、むしろぴったりの表現ということになります。数年前、プロサッカー選手のラモス・ルイが引退するとき、やはり、「引退することになりました。」といいました。その時は、ブラジルから日本に来て永く生活していると、自然にこういう日本的言い方が身に付くのだと感心したものでした。
(2013・10・11付記):我が国最初の歴史書とされる「古事記」において、天地の創生を記述した文で、国造りの神の出現について、「成りませる」と表現されています。また、一般の人は、「青人草」と表現され、青い草のように自然に生えてくるもの、とされています。「事ハ成シテハナラズ成ルモノトスル」のルーツここにあり、ではないでしょうか?ところで、元大関把瑠都が引退することになりましたが、彼は「引退することに決めました。」と語りました。まだ若いので、日本人になりきっていないと感じました。
なお、この国の不文憲法には、次のようにあるようです。
第一条 「事ハ成シテハナラズ成ルモノトスル」
第二条 「スベカラクソノ場ノ空気ニ従ウモノトスル」
第三条 「人ト同ジデアル事ヲモッテ貴シトナス」
(2014・10・23付記):2014年9月、女優の仲間由紀恵が、「~と結婚する運びとなりました。」と、発表した。このような場合、「~と結婚することになりました。」では違和感があるのであろう。確かに、「運びとなりました。」の方が違和感が少ない。今後は、この言い方が定番になって行くのではなかろうか?「した」のではなく、「なった」ことに変わりはないが。