岸田秀氏の著作(ものぐさ精神分析、不惑の雑考、20世紀を精神分析する・・・)
岸田秀氏の著作(ものぐさ精神分析、不惑の雑考、20世紀を精神分析する・・・)
岸田秀氏の著作には50代になって初めて接したのですが、この世のなかに、こんなに変わった考え方をする人がいたとは、驚きであると同時に、大いに納得させられたことを思い出します。
岸田秀氏の3大論考を挙げよと言われたら、「ものぐさ精神分析」中の「日本近代を精神分析する」、「アメリカを精神分析する」、それに「不惑の雑考」中の「日本人のアジア感」を挙げます。
近代日本は、ペリー来航以来、同一人格の中で、おのれの自尊の幻想を守るために現実適応をなおざりにする「内的自己」と現実適応のために欧米諸国に迎合し屈従する「外的自己」が分裂した「精神分裂の病的状態」にあるというのが、「日本近代を精神分析する」の中心テーマですが、このことは今でも基本的に変わっていないようです。
「老体に鞭打って飛行機に乗り、アメリカ大陸に渡って原爆を2発落としてやりたい。」という西部邁氏、9・11の自爆テロの時、「この手があったか!」と叫んだという小林よしのり氏もいれば、アメリカ大好きで「原爆は自然災害に近かった。」とまで言い、アメリカ公使に起用されることになった阿川尚之氏もいる、という具合ですから。
一方、「アメリカを精神分析する」の中心テーマは、アメリカとは「先住民虐殺・大陸掠奪」という、建国の歴史を隠蔽しそれを正当化しないことには国が存続できないという、「強迫神経症」の国であるということです。
従って、「日米関係」とは、「病人と病人の関係」ということになります。
そして、「日本人のアジア感」を読むと、「アジア」における日本人の「違和感」がよく分かります。そして、戦時中、フィリピン、インドネシア等において、日本統治がうまく行かなかった理由もよく分かります。
日本のアジアの国々との付合いはうまく行った試しがない、という気がして来ますが、唯一、誇りをもって語れるのが、終戦時、インドネシアに残った日本兵の一部、約2千人が連合軍に降伏せず、武器・弾薬とともにインドネシア独立義勇軍に投じ、植民地を回復しようとしたオランダ軍と戦って勝利し、インドネシアの独立達成に寄与した英雄として国立墓地に祀られているという事実でしょう。
「日本はアジアでいいこともした。」と言うと、反論・攻撃に曝されるのが落ちですが、インドネシアのオランダからの独立達成に寄与したことだけは、文句なく、「いいことをした。」です。
しかし、このインドネシアの独立達成への寄与は、「日本政府」が国家としたのではなく、むしろ、連合国に降伏して武器・弾薬も連合国に引き渡すべしとの国からの命令に背き、各個人が「ボランティア」としてしたことであったためか、余り知られていないのが残念なところです。
岸田秀氏の著作を読み慣れると、「精神分析」ができるようになります。例えば、「親日派のための弁明」でも出てくる、いわゆる、「自虐史観」の「反日・侮日」の日本人というのは、次のような精神病理の人間です。彼らは、惨めな敗戦国の日本人であることが厭で堪らず、「偉大な」戦勝国たる連合国の国民になりたいのです。しかし、そんなことができるはずがないので、せめて、心情的に、連合国の国民になったつもりで、「反日・侮日」の言動で日本国を貶め、辱めるのです。「反日・侮日」の著作物が世に出れば、それは「仮想現実」ですから、それを書いた自分が連合国の国民になったような快感を味わうことができるのです。(彼らの感覚としては、他人を痛め付けて快感を感じているはずですから、この場合、「自分自身を責め苛む」が本来の意味である「自虐」というのは正確でないことは明らかです。)
かつて、アメリカ軍の捕虜になった日本軍の将校が、アメリカ軍の爆撃機に同乗し、日本軍の攻撃すべき地点をアメリカ軍に教えてやったことがあったそうですが、「反日・侮日」の日本人がしていることは、これと同じことです。
しかし、このような「日本人」というのは、まともな日本人から見れば許しがたい連中であるし、外国人から見ても、日本人なのに「反日・侮日」という、奇妙な連中であることに違いなく、軽蔑の対象にしかならないでしょう。
このことは、白人の真似をして、髪の毛を金髪・茶髪(或る人はこれを「獣髪」と言っています。)に染めている日本人についても基本的に同じことだと思います。彼らは、日本人であるのが厭で、白人になりたくてしかたがないのです。しかし、体の主要部分はどうにもならないので、せめて、比較的容易に部品交換?できる髪の毛を金髪・茶髪に染めて、白人になった気分を味わっているのです。