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アマデウス(1984)

アマデウス(1984)

2015,2,6

モーツァルトと同じ時代を生きた宮廷作曲家サリエリ(凡才)とモーツァルト(天才)との確執の物語である。

冒頭、自殺を図ったサリエリの懺悔を聞くべく訪れた神父に対して、サリエリは「自分が誰だか知っているか?」と問う。これに対して、神父は、「知りません。神の前に、あらゆる人は平等です。」と言う。

しかし、神は、モーツァルトに天才を与え、自分には天才を理解する能力しか与えなかったということを恨みにしていたサリエリにとって、「あらゆる人間が平等である。」などというのは、たわごと以外の何物でもなかった。

天才作曲家は、神から伝えられた音楽を、誰もが聴けるように五線紙に書き写すだけであるという。凡才には、そのようなことは起きないらしい。

絵画にも、似たようなことがあるのであろう。似顔絵なるものを始めて4年と少しが経った。絵といえば、専ら、機械図面しか描いたことのなかった自分に、画才があったとは到底思えないが、人様に見せて恥ずかしくないものは描けるようになったようである。(似顔絵個展→検索、likeness picture gallery →検索)

肝要なのは、「描きたい」という意欲であり、次に、工夫、努力である。才能がないなどということを言い分けにしていたら、何もできるようにはならないと思われる。

本田宗一郎の名言を思い出す。「人生は見たり、聞いたり、試したりの三つの知恵でまとまっているが、多くの人は、見たり、聞いたりばかりで一番重要な『試したり』をほとんどしない。・・・みんな失敗を恐れるから成功のチャンスも少ない。やってみもせんで。」

彼の口癖は「試す人になろう。」であったという。

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