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映画に学ぶ

その17

 軍神山本元帥と連合艦隊(1956)

(2015・7・21)

 山本五十六を「軍神」と持ち上げる映画があったとは知らなかった。まだ、戦後11年、国葬から13年目のことであるから、「海軍善玉説」が信じられていたのであろうか?

 真珠湾奇襲は一応成功したとはいえ、翌年のミッドウェー海戦では惨敗し、その翌年、アメリカ軍に待ち伏せ攻撃されて戦死した連合艦隊司令長官を「軍神」とは恐れ入る。

 日米戦の見通しを近衛首相からきかれて、「半年や一年なら、存分に暴れてご覧に入れる。」といったそうだが、「暴れる。」というような言葉は、軍隊というものを、自分の私物・玩具のように考えていなければ出て来ないはずで、許し難い。

 また、司令長官でありながら、これほど、リーダーシップに欠けた人物は珍しいというべきであろう。リーダーシップとは、「人を共通の目的に団結させる能力と意志であり、人に信頼の念を起させる人格の力である。」(モンゴメリー将軍)

 山本は、真珠湾奇襲も、ミッドウェー海戦も立案しただけで、その目的を部下に徹底させることもしなければ、自ら、先頭に立って指揮することもせず、南雲忠一に任せ、みずからは、後方に引っ込んでいた。「やってみせ・・・」「常在戦場」も、空々しく聞こえる。

 自ら先頭に立つ気がないのなら、せめて、南雲ではなく、猛将山口多聞を現地司令官にしていれば、随分、違った展開になったはずである。

 適材適所の観点からすれば、この人は、軍隊を指揮する器ではなく、軍政畑に留まるべき人であったのであり、連合艦隊司令長官になったのは、途を間違えたと思われる。

 映画の最後に、「若しも山本元帥健在なりせば日本の歴史の一頁はあやまりなきを得たであろう」との字幕が出る。見当違いも甚だしい。

(2015・8・31付記)
 山本が、海軍次官から連合艦隊司令長官になったのは、表向きは、米内海相が「このまま中央にいたら暗殺の危険がある。」と危惧したから、というのであるが、実は、海軍中央での対米強硬派との抗争に負けて地方の現場監督に飛ばされたのである。

 その結果、中央での発言が封じられ、海軍中央が陸軍に引き摺られた形で、三国同盟締結・対米開戦決定に至った。

 しかし、実際に戦争をするのは、デスクワークの海軍中央ではなく、現場である。そして、如何に第一線の兵士が勇猛果敢でも、指揮官に人を得なくては、戦争には勝てない。

 開戦と決まったからには、個々の戦闘では、「勝って勝って勝ちまくる。」でなくてはならないのに、指揮官に戦意が乏しく、腰が引けている。これで、戦争のプロであるアメリカに勝てるはずがない。

 勇ましく対米開戦を決めたはいいが、海軍中央は現場を知らず、いたずらに犠牲者を増やす命令を出すばかりであったので、最後は、現場からの報復を受け、海軍そのものの消滅に至ったという感がある。

 対米開戦の引き金となったのは、アメリカによる石油禁輸であった。これでは、国そのものが立ち行かないから、どこかに石油を求める必要がある。これこそ、自存・自衛である。それなのに、石油が出ない真珠湾を攻撃して、何が自存・自衛か!近くの石油は蘭印にあるのだから、蘭印に石油を売って下さいと交渉し、拒否されたら止むを得ず、武力を以って進駐すればよかった。これが、当時考えられる最善の国策であった。こちらから、アメリカに喧嘩を売っては、絶対に駄目だった。

 山本は、第三次攻撃をせず、さっさと帰って来た南雲を弁護して、「泥棒でも逃げるときは恐いよ。」とおかしなことを言った。この意味を考えると、敵が日曜の朝、のんびりと過ごしているところに、いきなり戦争をしかけるのは、どう考えても、後ろめたさを感じざるを得ないので、つい「泥棒」という表現が飛び出したものと思われる。

 そんな後ろめたいことを、みずから先頭に立って指揮する気にはなれず、しかも、作戦自体、失敗に終わる危険性が高かったので、結局、他人任せにしたのではなかろうか?やはり、根本的に、リーダーシップに欠けていると言わざるを得ない。

 「真珠湾奇襲」さえなかったら、あのような悲惨な戦争にはならなかったであろうし、ミッドウェーでの惨敗も考えると、少なくとも、記念館までつくって称えるべき人とは思われない。

(2015・9・7付記)
 2011年の映画「連合艦隊司令長官 山本五十六」では、緒戦の快進撃に勝った勝った!と浮かれている当時の空気に抗して、一人「早期講和」を唱える山本の挫折が描かれている。

 山本は、開戦劈頭、アメリカの太平洋艦隊に壊滅的打撃を与えることによって、アメリカに戦意を喪失させ、有利な条件で早期講和する、という筋書きを考えていた。しかし、アメリカ側には、「早期講和」などという発想は、微塵もなかったのだから、山本の筋書きは、当時の軍人に多かった、敵は自分の望むとおりに動いてくれるはず、という思い込みでしかなかった。

 五百旗頭真著「日米戦争と戦後日本」によれば、アメリカ側は、真珠湾攻撃があった途端、これで日本の運命は決まった、日本は壊滅する、と見、直ちに、「対日占領政策」の立案を始めた、とのことである。

 山本は、若いとき、二度もアメリカ留学の経験をしている。それなのに、最も重要というべき、「アメリカ人の戦争観」については、何も学んで来なかったということになる。デトロイトの自動車工場を見学して驚愕し、これほど生産力が違っていては、戦争にならないと感じたそうだが、その程度のことなら、子供でも分かる。目に見えない「アメリカ人の戦争観」こそ、学んで来るべきであった。

 山本は、辞任をちらつかせてまで、真珠湾奇襲を軍令部に認めさせたのであるが、組織的には上にありながら、山本に押し切られた軍令部(永野総長)こそ、無能の典型である。朝鮮戦争で、解任されたマッカーサーを思うべきである。

 山本には、ガダルカナル島争奪があの戦争の天王山であるとの認識もなかった。快適な大和ホテルに引きこもったままで、大和も、武蔵も、ガ島奪回に、ついに出撃しなかった。海軍内では、出撃しない長官に対する怨嗟の声が高まっていたという。

 撃墜された後、実は、山本は生きていたらしい。最後は、自ら、死を選んだのではないだろうか。

(2015・9・16付記)
 真珠湾攻撃に関する軍令部の命令は、「アメリカ艦隊に一撃を加えたら速やかに避退すべし。」であったから、南雲はこれに忠実に従っただけである。山本は、真珠湾を徹底的に壊滅させるべし、との真意を、軍令部に徹底させる努力を全くしていない。真珠湾奇襲そのものを認めさせるときは、あれほどの熱意があったのに、その中味については知らんぶりである。この落差の大きさには、人格的欠陥があったのではないか?と疑いたくなる。

 さらに、山本は、南雲に、「帰路、ミッドウェーを空襲・破壊すべし。」との命令を与えたが、南雲は「相手の横綱を破った関取に、帰りに大根を買ってこいというようなものだ。」と、無視して従わなかった。この命令が実行されていたら、約半年後のミッドウェー海戦の様相は全く違うものになっていたはずであるから、この命令違反は重大である。しかし、勝った勝った!のどさくさ紛れで、うやむやにされてしまった。

 高坂正堯氏は、「山本はアメリカに勝てないことを知っていた。しかし、戦わなくてはならないなら一発華々しくお見舞いしたかった。」と心理分析している。「暴れる」と似た、子供じみた発想である。この「一発華々しく見舞った。」お返しが、300万人を超える死者と焼け野原だった訳である。

 ちなみに、アメリカは、真珠湾で沈められた戦艦等のうち、2隻だけ諦めたが、残りは全部引き揚げ・修理して実戦に復帰させたから、真珠湾奇襲の実際の戦果は、旧式戦艦2隻を沈めただけである。これが、人員3万人、空母6隻を含む艦船30隻、艦載機350機を動員した戦果だというのだから、情けない。こんなのは、アメリカにとっては「かすり傷」に過ぎなかった。

 真珠湾の「成功」で、山本は、「名将」では足りずに、「神将」とまで称えられた。しかし、当人は、気が抜けたような状態になっていたらしい。実際、奇襲から半年、山本の戦艦部隊は、柱島で遊軍となっていた。南雲の部隊だけ、南方を走り回された。山本には、空母と戦艦からなる一大艦隊で、速やかに正面からアメリカに挑む、というような構想は、ついに浮かばなかったらしい。奇襲が後ろめたかったのか、アメリカ海軍に、再び立ち上がる時間を与えてやったかの如くである。しかし、アメリカ側は、再度ハワイが攻撃され、太平洋艦隊の壊滅、ハワイ占領、ひいては、アメリカ西海岸の攻撃に至ることを恐れていたという。

 山本は、ミッドウェー海戦には、中途半端な出撃をし、空母部隊の550キロも後方に位置していた。彼が乗っていた大和は通信機能が優れていたから、敵空母の位置情報を早く知ることができたのに、これを南雲に伝えることをしなかった。いわゆる「無線封止」のためであるが、その禁を破って通信したところで、自分の位置が敵に知られる危険がある、というだけのことである。そんな後方にいて位置が知られたところで何と言うこともない。情報の重要さが分かっていなかっただけでなく、軍人にあるまじき「怯懦」である。しかも、彼は、自分が指揮する戦艦部隊を「主力部隊」と呼び、空母部隊の笑いものにされてもいる。結局、貴重な燃料を浪費しただけだったから、出撃せず、柱島にいて、通信機能をフルに活用した方がまだましだった。しかし、真のリーダーだったら、自ら先頭に立って、空母部隊の掩護、ミッドウエーの艦砲射撃をしたであろう。

 ミッドウェー海戦でも、山本の真意は、アメリカ空母の撃滅であったのに、軍令部の命令ではミッドウェー島の攻略が主目的にされてしまった。彼は、これにも全く異議を唱えていない。陸軍のミッドウェー占領部隊約2千人がついて来たから、南雲としては、海軍の面子にかけても上陸を成功させねば!と、ミッドウェー攻略の方が重大事になってしまった。だから、山本が事前に与えた指示「敵空母に備えて攻撃機の半分には常に魚雷を抱かせておくように。」も吹っ飛んでしまった。自己過信と敵の下算に、不運・判断ミスが重なって惨敗の結果になったが、山本は、その責任を取らないばかりか、敗因の追究もせず、挙句、事実を徹底的に隠蔽した。その罪は重い。

 ところで、阿川弘之の「山本五十六」では、戦艦大和の計画が持ち上がったとき、山本が猛烈に反対し、これからは航空戦力の時代で、どんな戦艦でも航空攻撃で沈められる、との主張をしたことが書かれている。そして、大和は、彼の予言どおり、米軍の航空攻撃で沈められた、と彼の予言の正しさを賞賛するが如きである。しかし、ちょっと待ってくれ!である。反対にも拘らず完成してその活用が委ねられたからには、精一杯、巨大戦艦の活用法を考えるのが将たる者の努めであろう。自分のホテルにし、宝の持ち腐れにしてしまったのは、山本の重大な責任である。米軍なら、少なくとも、空母部隊の掩護、艦砲射撃に、最大限に活用したはずである。

 開戦当時、帝国海軍には、空母が10隻もあった。従って、少なくとも、機動部隊を、3つは編成できた。これに、それぞれ、南雲、山口、小沢を指揮官とし、その自由な指揮に任せていれば、それぞれの個性に基づいた作戦が可能だった。すべてを南雲の指揮にしてしまったことが間違いである。ミッドウェー海戦も、最初から、南雲部隊と山口部隊を独立にしていたら、山口の思い通りの戦い方ができたのに、と残念でならない。彼なら、機動部隊の最適の編成を創出し、文字通り「無敵艦隊」を作り上げたかも知れない。戦時も、序列にこだわり、柔軟な抜擢人事が全くできていない。

 また、太平洋を舞台にアメリカと戦うというのに、空のことばかり気を取られて、山本が、「海兵隊」の必要性に全く気が付かなかったというのも、間が抜けている。水から油ができるというインチキ発明には大いに興味を持ったが、肝心の「レーダー」開発には、興味がなかった。

 山本を陸軍の石原莞爾になぞらえる人がいるが、むしろ、辻政信の方がぴったりである。両者ともに「制御能わざる突出した個人」で、アジアの植民地の軍隊を相手にしたときと、敵の不意を襲ったときだけ、「作戦の神様」と神格化される程の輝きを見せたが、アメリカの正規軍を相手にした途端、歯が立たなかったところがそっくりである。




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